ばいばい、こうすけ。ありがとう。

i-o2007-04-26


ただひたすらに。
ただひたすらに。

かなしい。


さみしい。





・・・さみしいよ。。。






けさ、我が家の家族が一人いなくなりました。


愛犬の、こうすけ

私が大学へ行く、ほんと直前に
あっけないほどあっという間に逝ってしまった。

大学へ行くかどうか迷ったけれど、研究室もレポートもあったのでそのまま出かけた。
だけど、行きのバスでも涙が出てきて、
大学についても「どうしたの?」って心配してくれる友達に事情を話すたびに涙が出てきて、
最終的にはチュトリも抜けてきちゃって、いっぱい迷惑かけてしまった。オケもあったけど、どうしても無理だった。休んでごめんなさい。
廊下でたまたま会ったゆかりちゃん、たかちぃ、ごめんね。
でも、おかげで最後まで見届けることができたよ、ありがとう。





もう1月くらいから調子が悪くて、
ここ最近は水しか飲めず何も食べられなくて、
寝てばかりいて、

確実に老いと死を感じていた。

15歳。大往生だったと思う。
逝き方も
いつも一緒にいたおばあちゃんにも見守られてて幸せだったと思う。
最後の最後まで、おばあちゃんは息をしてほしくて人工呼吸をしてました。
なかなか人工呼吸までしてくれる人はいないよ、こうすけさん。

死んだことに納得はしてる。

だけど一緒に暮らした15年という歳月は
わたしにすぐに別れを受容させてくれません。


「思い出をたくさん残していってくれたから、
 いっぱい笑顔をくれたんだから、ありがとうっていわな。」

おばあちゃんはそういった。
よくわかる。
けれど、私にはそれが難しい。

残してくれた思い出が多すぎて。
一つ一つが鮮明で。それがほんとにさみしくて。


私が6歳の頃からいたから、居て当たり前なんです。
毎日朝起きて、ご飯一緒に食べて、行ってきますっていって、帰ってきたら何故かいつもほえられて、でもお泊りのあとに帰ってくると短いしっぽ振って迎えてくれて、晩御飯も食べて、肉ばっかりほしがって。よるはたまに横にもぐって寝てたり、私の上によじのぼって寝てたり。
そしてまた朝が来る

そんな当たり前だった生活は、今日でおしまい。
いなくなってから一緒に過ごしたこの年月の大切さを知った。

でも、一番こうすけを可愛がってたのはおばあちゃんで、
今朝もどうしようもなくなってて、大学へ行ってるときは一番心配して。
だけど、火葬場へ行くときはすっきりした顔をしてて。
むしろ私のほうがだめだめで、ずっと泣いていた。
そんな私に上のようなことを言えるくらい落ち着いていた。


「今日から寝床が寂しくなるね」
おばあちゃんが大きくも見え、小さくも見えた。



最初にこうすけと出会ったのはいつだったかな。
たしか、秋ごろだったとおもう。

あたしがこうすけとよく一緒に散歩にいったのは
春の今日みたいなうららかな感じの日が多かったと思う。

そんな春がやってきて、

オムツが落ちてきちゃうくらいがりがりにやせてしまった体でも
あったかくて過ごしやすい季節がきたのに
大好きな散歩も苦にならない季節がやっとめぐってきたのに
逝っちゃうなんてうそでしょ?
やっぱり一緒にいたかった。またお散歩したかった。
おばあちゃんと散歩するときは走れないけど
あたしと一緒のときは全速力で走ったりしたよね。
いろんな道とおって、色んな犬にほえられて怖くて帰ってきたときもあったね。

「のに」ばっかりやなぁ。
だけどそんな思いも、
火葬場へ行くときに見えた快晴の青い空と新緑に染まった山並みをみてたら

今の季節も今日の天気もこうすけを送り出すのに最高の日だったのかな

って思えた。

色んな思いが入り混じっててまとまらないし
やっぱり、涙は止まらない。
今日一日だけは、こうすけの冥福をいのりつつ思う存分泣こうとおもう。